タイタニック号沈没事故は、1912年4月15日に北大西洋で発生した歴史的な海難事故です。
当時世界最大の客船だったタイタニック号は、氷山に衝突して沈没し、2,224人の乗客と乗員のうち1,514人が死亡しました。
死亡者の中には、社会的地位が高いとされる一等客も含まれていました。
この記事では、タイタニック号に乗船していた一等客の中で、どのような人々が死亡したのか、またその背景や影響について紹介します。
タイタニック号の一等客の解説と死亡率
一等客とは、タイタニック号の最高級の船室に宿泊していた乗客のことです。
貴族や政治家、実業家、芸術家、社交界の名士など、当時の社会的なエリート層が多く含まれていました。
一等客は全体の約15%を占めていて、その数は325人でした。
彼らの船室は、豪華な装飾や設備が施されていて、レストランやラウンジ、図書館、ジムなどの娯楽施設も利用できたと言います。
一等客はタイタニック号の沈没事故で最も死亡率が低かったグループであり、その割合は約40%でした。
しかし、それでも一等客が140人以上が死亡しています。
タイタニックの一等客の中で死亡した有名な人物
タイタニック号の一等客は当時の社会的なエリート層であり、ビジネスや旅行など様々な理由で北大西洋を渡ろうとしていた人々でした。
彼らを含む多くの人々が悲劇的な事故に巻き込まれ、死亡したというニュースは世界中に衝撃を与えました。
タイタニック号の一等客の中で死亡した人々には、以下のような有名な人物がいます。
ジョン・ジェイコブ・アスター4世
#タイタニック
ジョン・ジェイコブ・アスターとマデリーン夫人 pic.twitter.com/f73ceilckV— 敷島_金鵄@侏儒の艦これ勢 (@551_confucius) June 24, 2023
アメリカ合衆国の実業家であり、当時世界最大の財産を持っていたと言われる人物です。
彼は妊娠中の若い妻マデリーンと一緒にタイタニック号に乗船していましたが、妻を救命ボートに乗せた後に自分は船に残り、沈没とともに死亡しました。
また、アスターは母親と一緒に救命ボートに乗ろうとした10歳の少年を助けたという話があります。
少年は船員に「男だから乗れない」と言われました。
沈没する際、女性と子供を優先して救命ボートに乗せていたためです。
アスターは少年に女の子の帽子をかぶせて「女の子だ」と言って船員をだましてボートに乗せました。
これは実話かどうかは分かりませんが、アスターの勇気と機転に富んだ行動を示す逸話です。
ベンジャミン・グッゲンハイム
グッゲンハイムさんは実在の人物です
彼は究極のジェントルマン#タイタニック #金曜ロードショー pic.twitter.com/rUecLRgPiY
— ヤーデ・フォン・オーベルシュタイン (@Jadeoberstein) May 14, 2021
アメリカ合衆国の鉱山王であり、グッゲンハイム家の一員です。
彼は愛人レオンティーヌ・オーバールと一緒にタイタニック号に乗船していましたが、彼女を救命ボートに乗せた後に自分は執事と一緒に礼服に着替えて船に残りました。
もう助からないということを察し、「紳士らしく」死亡したのです。
エドワード・オースティン・ケント
Today in #WNYHistory architect Edward Kent dies aboard the Titanic after assisting fellow passengers escape. pic.twitter.com/vOW10gvd1J
— WNY Heritage (@WNYHeritage) April 15, 2016
アメリカ合衆国の建築家であり、バッファロー市庁舎やバッファロー歴史博物館などの設計を手掛けた人物です。
彼は独身でタイタニック号に乗船していましたが、救命ボートへの乗船を断って他の乗客を助ける姿が目撃された後に死亡しました。
彼の遺体は引き上げられ、弟によって遺体を確認された後、埋葬されました。
ウィリアム・トーマス・ステッド
#タイタニック号#Titanic110
ちなみにステッドはスピリチュアルにも関わっており、没後遺族が交霊会に現れた彼とのやりとりは書籍にまとめてます
(コナン・ドイルが序文を書いています)
『SOSタイタニック』では、一等喫煙室で本を読んでる老紳士がステッド氏でした(生存者の証言から) pic.twitter.com/3YtDbJDWst— 敷島_金鵄@侏儒の艦これ勢 (@551_confucius) April 18, 2022
イギリスのジャーナリストであり、「新聞界の父」と呼ばれる人物です。
彼は社会問題や霊的な話題に関心が深く、1892年に発表した「旧世界から新世界へ」という小説では、タイタニック号の沈没事故を予知したかのような内容となっています。
彼はタイタニック号に乗船していましたが、救命ボートに乗らずに船に残り、沈没とともに死亡しました。
なお、ステッドは生前に「自分の死因は撲殺か溺死であろう」と予言していたと言う話が残っています。
一等客の中で死亡した人々の遺体と記念碑
タイタニックのラストシーン
左側~楽団員達 トミー ギクリオ
&グッゲンハイム氏 トーマス神父 マードックトーマス 右側~ローズのメイドトゥルーディ アスター氏コーラ親子ローズに優しい三等夫婦ファブリッツィオ&ヘルガ 上階にスミス船長#タイタニック後編 #タイタニック#石田彰 pic.twitter.com/lApsttUBsm— kasabuta999🇯🇵おトムは世界遺産 (@kasabuta999) May 14, 2021
タイタニック号の一等客の中で死亡した人々は、彼らだけではありません。
他にも多くの人々が、家族や友人、恋人や同僚と一緒に、あるいは別れて、タイタニック号の沈没事故で命を落としました。
彼らの死は、当時の世界に大きな衝撃と悲しみをもたらしました。
彼らの遺体の多くは回収されずに海に沈みましたが、一部はカナダのハリファックスに運ばれて埋葬されています。
彼らの墓石には、彼らの名前や年齢、出身地や職業などが刻まれています。
また、彼らの遺族や友人は、彼らを追悼するために様々な形で記念碑や慰霊碑を建てました。
一等客のみならず、二等客、三等客、船員に至るまでその死亡を悼み偲ばれました。
まとめ
タイタニック号沈没事故は、一等客だけでなく、二等客や三等客、乗員や救助船の関係者など、多くの人々の運命を変えました。
この未曽有の沈没事故は多くの死亡者を出し、海上安全の規則や救助体制の見直しを促しました。
また、文化や芸術の分野でも多くの作品を生み出しました。
タイタニック号沈没事故から100年以上が経った今でも、この事故は世界中の人々に強い関心を与えています。
一等客の中で死亡した人々は、その一部ではありますが、その人生や物語は忘れられることなく語り継がれています。
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